2013年10月01日
中国・アジア
研究員
武重 直人
2013年9月7日、国際オリンピック委員会(IOC)は2020年夏季五輪の開催地を東京に決定した。ところが、各国メディアの競い合う速報合戦で、中国国営の新華社通信が「東京落選」の誤報を流した。それに引きずられ、中国内のメディアの多くもこの間違ったニュースを配信してしまった。日本政府による尖閣諸島国有化1年を目前に控えた時期だっただけに、「何か政治的な意図でもあるのか?」という思いがよぎった。
ところが、真相は新華社の単なる早合点だった。一回目の投票で東京が1位、それに次ぐマドリードとイスタンブールが同数。このため急きょ行われた東京と争う都市を決める投票を、決選投票と取り違えたらしい(実は日本の一部メディアも同じミスを犯していた)。
中国内で新華社の一件は、「烏龍錯誤(ウーロンツォウ)」と伝えられた。ウーロン茶の「烏龍」は「うっかり」、「錯誤」は日本語のそれとほぼ同じ意味である。つまり、国営通信社の世界的な誤報が「うっかりミス」で済まされたのだから、一昔前の中国とは隔世の感がある。
「中国メディア」と言うと、新華社に代表される政治色の強い官製メディアを思い浮かべる人が圧倒的だろう。インターネットの世界でも、当局による規制や監視、政治宣伝が展開されているというイメージがつきまとう。
実際、中国でNHKなどの海外衛星放送を見ていると、時々映像と音声がブツっと切れる。ニュース番組で天安門事件(1989年の民主化運動)やチベット独立運動がとり上げられると、放送が即座に遮断され、その話題が終わった頃に再開されるのである。
ネットの世界も当然、規制と監視が厳しい。中国共産党は「Great Firewall」(「万里の長城」のような防火壁)と呼ばれるフィルタリング(検閲)システムを導入しており、権力にとって「有害」な海外サイトをブロックし、国内で書き込まれた党や指導者の批判も拾い上げて即刻削除する。
国内のサイトを監視しているのは、地域の公安当局に属する「サイバーポリス」。民間から集められた「ネット評論員」を合わせて数十万人規模の体勢で、国内のサイトを常時監視する。不適切な書き込みを次々に削除するのはもちろん、ネット評論員が一般ユーザーに成りすまして党を称賛するなど、世論の誘導や形成にも努めている。
当然ながら、中国ではYouTubeやFacebookは使えない。「百度」「新浪微博」など、当局がコントロールできる中国のネットメディアがそれを代替している。また、グーグルは自社のメールシステムの中身が検閲されているとして中国政府と対立、2010年に中国事業の本部を香港に移してしまった。
テレビのドラマはどうかというと、「反日歴史ドラマ」が席巻している。どこかのチャンネルで必ずと言ってよいぐらい放映され、横暴で冷酷な日本の軍人が例外なく登場する。この手のドラマが多いのは、政府の認可を受けやすいからである。外国ドラマの放送では、「韓流恋愛ドラマ」が断トツ。かつては日本のドラマも放送されていて人気を博したが、それも1990年代の「東京ラブストーリー」ぐらいまでだ。
なお、反日ドラマには悪役として同じ日本人俳優が何度も出演するため、知名度や存在感を増している。1年半ほど前に新聞の芸能欄で特集され、最近はファンとの集いのようなことまでやっているようだ。
中国では、メディアとは権力による世論誘導の道具である。ニュース、ネット、ドラマのどれもが共産党の意思を反映させる場として、国民も理解している。
しかし、共産党がいとも簡単に世論を誘導しているかといえば、決してそうではない。権力側や官製メディアは時折「うっかりミス」を犯すし、したたかな大衆も規制や監視の目を巧みにかいくぐる。
先に紹介したネット評論員は、ネットユーザーから「五毛党」と揶揄される。基本給が安い上に、一件処理するごとに5毛(7円程度)の出来高制で働いているからだ。100年ほど前、国務院総理・段祺瑞が議会に圧力をかけるため、1時間5毛の報酬で動員しようとしたデモ隊に対する蔑称が「五毛党」なのである。
監視の目から逃れるため、ネットユーザーは隠語を駆使する。例えば、共産党の政策理念「和諧社会」(調和のとれた社会)を批判的な文脈の中で使うと、監視対象にされてしまう。このため、「和諧」(ハーシエ)に発音が近い「河蟹」(本来は川に棲むカニを指す)を代用する。五毛党に発言が削除されたりすると、「河蟹にされた!」(=和諧された!)などと表現する。
ただし、こうした隠語はすぐにフィルタリングの対象に追加されるから、ネットユーザー側は新たな隠語をつくる。それをまた当局が摘発...というイタチごっこが続いている。
映画やドラマの楽しみ方でも、大衆はたくましさを発揮している。公式テレビが放映する「反日」と「韓流」の世界とは打って変わって、街のDVDショップには日本の映画やドラマが溢れている。もちろん全て違法コピーしたものであり、映画なら一枚20元(280円)、ドラマならシーズン全編で100元(1400円)といったところだ。
上海万博など大きな国際的イベントが開かれる際には、DVDショップは一斉に表部屋と裏部屋の「二重構造」に早変わりする。表で中国モノ、裏では外国モノを扱うのだ。
お金のない若者はDVDショップにさえ行かず、ネット上で日本のドラマを楽しむ。YouTubeはつながらなくとも、それ以上にタイトル数が豊富なサイトがあり、映画やドラマは無料で見放題だ。
上海市内で英語を専攻する大学生は、「恋愛モノでも日本のドラマは家族の意味などを考えさせてくれるから、見ごたえがある、韓流ドラマとは全然違う」と語っていた。彼のお気に入りは東野圭吾の作品。日本とは何の利害関係もなく、「反日」と「韓流」にウンザリしている一般的な若者の姿である。
ところで、ネットの世界では「人肉捜索」という言葉がある。「たくさんの人が力を合わせて検索する」という意味だ。
例えば、高級腕時計を身に付け、その姿をテレビで映し出された地方政府の幹部などを標的に、ネットユーザーが検索を通じて徹底した「身辺調査」を行い、ネット上で批判の集中砲火を浴びせるのだ。すると、地方公務員の給料ではありえない、高額資産が暴き出されてしまう。世間の耳目を集めると、当局が汚職事件の捜査に踏み切ることもある。
少し前に大流行した「俺の親父は李剛だ」はその典型的なケースである。李剛というのは地方警察の幹部の名前。その息子が外車で大学の寮に女子学生を送り届けた直後、キャンパスにいた別の2人の学生をはねてしまう。
息子はそのまま逃走しようとしたが、学生に取り囲まれて捕まった。その際、彼が発した言葉が「訴えられるものならやってみろ、俺の親父は李剛だ」なのである。ここから「人肉捜索」が展開され、1億円と言われる父親の不動産所有などが次々に暴かれた。
中国のネットユーザーは今や、地方幹部を引きずり下ろすぐらいの力を蓄えている。
武重 直人